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レイプサバイバーの裁判闘争を支援をお願いします

私はルビーです。メルボルンで7年間セックスワーカーをしています。ビクセン(訳者注:VixenVictorian Sex Industry Networkビクトリア州性産業ネットワーク http://www.vixencollective.org/ )に加えセックスワークフェスティバルの初開催にも関わっています。

3年程前にとあるクズ野郎にレイプされました。彼の性暴力歴から、警察に被害届を出すことにしました。2012年に公判付託手続があり、7月に裁判が始まり1.5週間続きます。私は1日か2日反対尋問を受けます。 

 反対尋問を切り抜けその後回復することがどれだけ大変か知っていたので、一ヶ月休業することにしました。これにより裁判そのものへの準備と、終わったあとに自分をいたわることができます。

 

残しておいた緊急出費用のお金は私の手に負えない事情で引越しを迫られたために使い果たしてしまいました。残念ながら裁判が近づくにつれて(特にレイプ犯の弁護側が私の心理療法士の記録を召喚する手続きを取ってから)精神的に参ってきていて、必要なだけ仕事をするのがとても難しくなってきました。 

 

できれば借金を作りたくありません。レイプそのものに加えてこの一連の手続きが既に私の生活を経済的に(精神的身体的な健康状態はいうまでもなく)脅かしています。さらに私は被害者補償機関の暫定的経済支援を申込みましたが、とても売春婦嫌悪的な理由から退けられました。補償機関の論理からすると、私がセックスワークを続けてる以上、強姦が私の生活を脅かしたとしてもそれほどではないはずと考えています。もしオフィスで性暴力を受けたら、その後その仕事を続けていても私の生活を脅かしたかどうか疑う人はいません!

 

私は通常助けを求めるのがあまり得意ではなく、できるだけ自立し、資金を確保し、独立していることに誇りを持っています。しかしこのつらい状況で、いますぐ必要な助けを呼びかけています。

必要経費が確保されているとわかれば、裁判に向けて大きな心の重荷をおろすことができます。今の時点では裁判中の家賃をまかなうだけのお金があります。しかし食料や光熱費、燃料費、薬代などの日常的な必需品はまかなえません。一週間にかかる医療費は複雑な精神疾患および身体的疾患を抱えているために(うつ病と線維筋痛を患っています)高くなります。ですのでその間も精神科医の他に心理療法士やカウンセラーのもとへ通い続けることがとても重要なのです。 

1ヶ月休業するには上記の出費をまかなうのに3300ドル( GoFundMe および ペイパルの費用をいれて3500ドル)

必要になります。どんな少額の寄付でもとてもうれしくおもいますし、セックスワーカーに対する暴力歴がある人に責任を取らせる闘いを助けることになります。

もし幸運にもこの資金集めの目標額を上回ることがあれば、超えた分の金額はメルボルンの反省暴力センター(私が被害届を出すことに決めた時からとても協力的だった団体)へ寄付します。




寄付のページはこちら


この惑星が繁栄するために闘うものたちへ

その名が知られることのないものたちへ

序文
1970年代後半および1980年代後半のカナダには監獄廃止運動、フェミニズム運動、先住民運動、環境保護運動および第三世界連帯運動において特に活発な大規模なアナキスト共同体が存在した。上に挙げた運動の中で活動を続けながらも、アナキストの一部は直接行動の戦略を採用するようになり政府の定義する合法性からはみ出るものであった。怒りを抑えきれないために直接行動に出たのではなく、企業や政府の管理が及ばない革命的運動のための長期的な戦略のひとつであったのだ。この運動のなかのさらに小さな集団がゲリラ作戦をはじめることにした。地下活動により逮捕や投獄を免れようとしたのだ。私はダイレクト・アクション(直接行動)と私たちが名づけたグループの一員であった。
 私は自身の記憶に基づきつつ、裁判資料や新聞記事を使ってダイレクト・アクションの戦闘的作戦の物語を再構成した。当時の状況を鏡に映したように語ろうと懸命に試みたものの、私の記憶や時間、利用可能な資料には限界があることを理解している。出来事の詳細な説明や他人に対して私が抱く考えや感情の表現が私自身の解釈によるものであり、その解釈を表したものであることは避けようがない。
 ダイレクト・アクションに参加した人々の各行動への参加は公式記録にあるので本名で記した。しかしその他の登場人物に関しては名前を変えた。個人特定を避けるためだけではなく、私が完全な物語を目指して会話や考え、感情を再現したからである。主要な登場人物のひとりである「ウエイン・フレイザー」はダイレクト・アクションを監視・調査していた実際の諜報警察官のひとりに基づいて構成した。この人物を脚色することで明らかになっていく私たちのグループの作戦と対比させた。その他の警察官の行動や人物像も実在の人物に基づいていているが仮名とした。(つづく)

ダイレクト・アクション 都市ゲリラの回想 アン・ハンセン AKプレス 初版2001年

Women aren’t raised in a culture that tells them they’re entitled to attention from men. We’re told instead that we have to earn it. And one reliable way of earning positive attention from men is to bash other women, especially women who speak out against sexism.”

“Excuse sexist behavior from men - get to be told you’re the exception. You’re not like those other girls, the bitchy ones. You’re special.
Amanda Marcotte - It’s Really Time for the Harassment to End (via bl-ind)

(出典: boydivision)

首都リオデジャネイロでは、一九世紀末に最初の労働者政党が登場したとき、曖昧な社会主義や功利的なサンジカリズムが支配的であった。そして、賃上げや労働時間の制限、衛生条件の改善などの差し迫った要求や、経営者と国家による労働組合の承認といった中期的な要求の実現を目指す傾向が強かった。
 対照的に、サンパウロ市ではアナーキズム、正確に言えばアナルコ・サンジカリズムが郵政であった。しかし実際には、ブラジルの社会的現実とのギャップから、アナーキストたちは、革命的イデオロギーを掲げたものの、サンジカリストと同様の要求の実現を目指した。ただし、要求が共通してはいても、二つの潮流の対立が解消されたわけではなく、もともと脆弱な労働運動はいっそう弱体化した。
 リオデジャネイロとサンパウロ市の労働運動にイデオロギーと活動方法の違いが生まれたのには、さまざまな要因が重なり合っていた。
 一九世紀末の首都リオデジャネイロの社会構造は、サンパウロ市よりもはるかに複雑であった。リオデジャネイロには農業階級への依存度の低い、専門職従事者、完了、職業軍人、士官学校や高等教育機関の学生が集中していた。若い軍人や農業階級への依存度が低い中産層の存在は、ある程度、階級間の協力に有利に働いた。一九一七年以前のリオデジャネイロにおける抵抗運動は、労働者そのものというよりも民衆的な内容を備えていた。ジャコバン派の運動のほか、一九〇四年、ロドリゲス・アルヴェス政権の下での種痘導入に反対して起きた「予防接種の反乱」もその一例である。
 労働者階級の構成から見ると、基幹的なサービス部門(鉄道、開運、港湾)の労働者が中心であった。これらの部門は、政府から一定の配慮がなされた部門であった。また、リオでジャニエロではブラジル人労働者の比率が高く、雇用主や政府との関係には家父長制的な伝統が色濃く現れていた。
 他方、サンパウロ市の社会構造は、休息な成長にもかかわらず、それほど多様化していなかった。注三層はコーヒー・ブルジョアジーに依存し、「下層階級」との同盟も辞さない不満を抱く軍人もいなかった。まら、新しい土地に根を張っていない外国人労働者が多く、アナーキズムが広まるのに有利であった。アナーキズム思想によれば、雇用主と(特に)政府は「他者」であり、敵であった。
 第一共和制初期から、労働者政党(ただし、構成員に本来の労働者は少なく、すぐに消滅した)、労働組合、ストライキなど、労働者の組織や活動が登場した。アナーキストたちは労働者階級の全国レベルでの組織化を試み、一九〇六年に「ブラジル労働者連盟」を創設した。しかし、労働運動の規模は小さく、ほとんどエリートの関心を引いたり、懸念を引き起こしたりすることはなかった。雇用主に圧力をかけて権利を獲得する場合もあったが、労働者の権利を保証する法律には結実しなかった、そして、圧力がなくなると、獲得した権利も失われた。(p252-253)

 一九二〇年代初め、アナーキズム勢力の内部で危機が生まれた。ストライキは、その激しさにもかかわらず、ほとんど成果を上げられず、アナーキズムへの不信感が高まった。同時に、国際的にはアナーキストとリシアで勝利した共産主義者との決裂が起こり、そのその影響がブラジルにも伝わった。
 一九一七年のロシア一〇月革命は「新しい時代の夜明け」を告げ、それに懐疑的な左翼は明らかに「歴史の進路に逆行する」ものとされた。こうして、一九二二年三月、ブラジル共産党(PCB)が誕生した。創立メンバーの大半はアナーキストであったが、これはラテンアメリカでは例外的なことで、他の諸国の共産党は、事実上すべてが社会党から分裂して生まれた。(p256)

『ブラジル史』ボリス・ファウスト著/鈴木茂訳 第3章 第一共和制時代(1889~1930) 5|社会運動
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